wind river

とても静かな事件。それだけ真相の根が深いということか・・・
冒頭で、月が冴え渡った雪原を女性が一人逃げ惑う場面でいきなり始まる。

冒頭の場面に変わり、白装束(雪原用の迷彩服)を着た男が茂みからコヨーテを次々に射殺していく。家畜を害獣から守るためである。この男・コーリィは、「 Fish and Wildlife 」の仕事をしていると途中で紹介が入る。日本語では、「魚類野生生物保護管理局 US Fish and Wildlife Service 」の意味ぐらい。映画『アリゾナドリーム』で臨時職員だったがジョニー・デップ氏が演じていた。

別居する妻、あるいは元妻のウィルマの元に息子のケイシーを迎えに行く、そんな場面が挿入される。彼女はネイティブ・アメリカンの女性。お互い愛し合っているのに何処かで断絶があり、関係がすでに崩壊している様子が描かれる。一体二人の間に何があったのか。

コーリィが義父・ダンの家に、家畜の被害の連絡を受け訪ねる。彼は自らの仕事を捕食動物を駆除するハンターと言っている。

義父は The Lion の仕業だと言う。
「ライオン」??
つまり、Mountain Lion(Macの旧称のOSver.の名ではありません)、これはピューマのこと。コーリィはこの希少動物のピューマを追っている。3頭いることを確認し、母親が2頭の子どもに家畜を使って狩りを教えているんだと言う。後半でその姿を表す。しかし、事件にはあまり関係はない。犯人はモンスターと化したこいつが全てのオチだったなんてことはない。男のいろんな面、設定を描くための一つの挿話であり、トレッカーとしての彼の人物像を深みのあるものとする描写となっている。

雪上に残るピューマの足跡を追った先に、冒頭の女性が倒れているのを発見する。居住区から約10キロも離れたその場所まで、裸足のままたどり着き絶命している。

さて、ここで新人の女性連邦捜査官(FBI)・ジェーンが登場するのだが、ベガスから研修中でそのまま駆けつけて来る。装備も何も持たないまま・・・ この温度差、最初、女性捜査官とこの極寒の地の現実とのギャップが面白くリアルではあった。

カー・ナビで単身吹雪の日に公用レンタル車でここまでやって来るのも対照的。現場主義っていうのか、現地の人、特にコーリィはトレッカーのプロで、その場の状況を観て判断しネイティブな知識に裏打ちされた行動を取るのとはだいぶ違う。また、ネイティブの住民たちの思考方法もよく分からない面があって、この新人捜査官の視点を借りて観客も同じように、彼らの掴みにくい存在や言葉、考え方の違和感を感じることになる。

しかしこの点は物語が進むにつれて彼女の中で徐々に変化していく・・・

ジェーンは現場の位置を正確に知るコーリィを伴い雪上バイクで遺体発見現場まで移動する。被害者の死亡状況について、コーリィが説明する。ほぼ酸欠状態で、そして寒気を吸い込んでいるために肺が破裂、転倒し喀血。そのまま発作的に移動した場で倒れ込み絶命した。コーリィは現場に残された足跡などの状況から死に至る経緯をジェーンに詳述する。

暴行も受けているが、女性の足跡以外、雪原には何も残されていない・・・ そして、コーリィは被害者の女性をよく知っていた。

この点を検死官による解説も参考に見てみる。

「彼女は肺出血で死亡。 氷点下の大気が肺に吸引され、肺胞、肺の中にある小さな嚢を破裂させる。体液が肺に蓄積し、大気が十分に冷たい場合、肺の液体が結晶化する。最終的に、犠牲者は死に至った・・・」

死因は殺害によるのではないという鑑定結果に、激昂するジェーン。複数にわたって強姦され、暴行された跡が確認でき、それが死因には繋がらないという。殺人事件であるという証拠がないと連邦捜査局は動かず、部隊の要請もできない。自分の任務はこれで終わりになるという。一見無表情で寡黙な居留区警察署チーフのベンは、ジェーンのFBIにはない反応、情熱に感謝を示し、ジェーンに対して眼差しが温かく、徐々に仲間意識を持つようになる。そんな過程もさりげなく描かれる。

ジェーンは、被害者ナタリーの両親を訪ねる。犠牲者の父親・マーティンは娘を失い深い悲しみの中、事件の事情を聴きに来たこの捜査官には無表情で心情を隠し全く取り合わない。ジェーンは犠牲者の母親と話そうとするが、母親は悲しみの深さが強すぎ奥の部屋で自傷行為をしている。しかし、コーリィが現れた時、マーティンは、彼へは信頼もあり友人として心を開き号泣してしまう、その様子がさらりと。犠牲になった18歳のナタリーと、コーリィにも娘がいて、二人は親友だった、しかも自分の娘も17歳の時に同じように犠牲になっていた・・・

POINTS
この作品は見終わった後、何かしっくりとしないものを感じる。物語は犯人や事件の結末も明らかになるが、何か消化不良のような感覚が残った。これはつまり、何がこの作品の中では語られなかったのか、この点が重要であり、もう一度考える必要があると思った。

以下はその点について考えてみるが、まずは作品の最後にこんなテロップが出る。

「あらゆる人口動態調査により、行方不明者の統計が蓄積されている一方で、そこにアメリカ先住民族の女性は存在しない。何人が行方不明になっているのかは誰も知らない。」

題名の「 ウィンド・リバー Wind River 」は、米国ワイオミング州にある先住民族の「保留保護区 Wind River Indian Reservation 」の名前。そこでネイティブ・アメリカンの女性の殺害被害が多く、しかも行方不明者届けがほとんどなされないという事実を、脚本家・テイラー・シェリダン Taylor Sheridan 氏が知り、自ら脚本・監督をつとめたという。『 Sicario(邦題『ボーダーライン』)』の2作目『 Soldado 』も氏の脚本で始動した。

この作品はある一つの実際にあった事件を作品化したのではなく、そこで起こっている様々な、殺人や暴行、薬物蔓延や失業、文化的な「自己の存在証明 identity 」の喪失や血統の断絶など、それら事件や問題を作品の中に題材として取り込んでいる。

物語の中でも、自分の娘が行方不明になっているのに届け出をしなかった理由がジェーンによってもその父親へ問われる。父親の答えは、18歳の娘はすでに大人であり彼女の「自由意思」を尊重したと、どことなく皮肉混じりにそう答える。娘を信頼して自由意思に任せ、結果的に自分たちは間違った選択をしたのだと。

この町、この「保留区」について、人々の口からは何も「希望」がない場所として語られる。人々から希望を奪うものは一体何なのだろうか?この地には、人が堕ちていく、悪に流れていく負のスパイラル(連鎖的に生じていく変化・変動)のシステムがある。

マーティンは、息子について、家族との連絡が全く途絶え、ドラック漬けになり、今は犯罪に関わる仲間の集団に帰属していることを知っている。そして、当局は、薬物中毒や売買、犯罪が町に起こったときはこの集団が関わっていると真っ先に考える。マーティンの口から、コーリィが当局に協力して自分の息子を罪に問う手引きをすることに対して、暗にほのめかされるが、そこには複雑な感情が交錯するのを感じ取れる。

ナタリーの殺害に関して、この集団「リトル・フェザー・ボーイ」がマークされ、ジェーンたちは捜査を始める。少数でそのトレラー・ハウスに向かうが、応援を要請し待機した方がいいのではと尋ねるジェーンにベンが答える。

QUOTES
This isn’t the land of back-up, Jane, this is the land of you’re on your own.
(ここは人の手助けをあてにする地ではないんだよ、ジェーン。ここはあんた自身でいる地なんだ。)

出てきた相手と、抗戦状態に入りジェーンは相手を銃撃戦の末に射殺する。拘束された2人のうちの一人がマーティンの息子であった。コーリィは、親友であるマーティンの息子のことは彼が歩き始めた頃からよく知っていて、自分の妹のナタリーが殺害されたことを知らなかった彼は、コーリィの口からそれを聞かされ嗚咽する。

QUOTES
Look, I hear you looking for clues but you’re missing all the signs.
(いいか、俺はあんたが手がかりを探してるって聞いたんだがあんたは全ての印を見逃してる)

一方で、コーリィはジェーンに現場のトレーラー・ハウスから続くスノー・バイクの跡を示す。そのトレースは遠くに見える山の斜面を登り、戻った後もなく森の中まで続いていた。その山の向こうはナタリーの遺体が発見された場所。その先には無残な遺体が放置され、降り積もった雪に覆われていた。

その夜、マーティンの息子が護送される前に、彼はナタリーが付き合っていた相手の名前をコーリィに告げる。

彼は続けて言う。

QUOTES
I get so mad I wanna fight the whole world. You got any idea what that feels like?
(俺は頭にきて、世界すべてに戦いを挑みたくなるんだ。そんな気持ちが少しでもあんたに分かるか?)

コーリィはそれに答えて「分かるさ」と言う。

QUOTES
I do. But I decided to fight the feeling instead.’Cause I figured the world would win.
(気持ちは分かるさ。しかし俺は代わりにそんな気持ちと戦うと決めた。なぜって、その世界が勝つだろうから)

マーティンの息子から告げられた名前の男は採掘現場の警備隊をしているという。しかし先の遺体の鑑識の結果、遺体はその男であることが判明する。

コーリィは親友のマーティンが娘を亡くして泣き叫んだ時、それを慰めようとして、自分が娘を亡くした時にそれを受け入れた事で今もこうして生きていることを語る。そして今は奴ら(政府)が自分に頼んだことをしているんだと。しかしマーティンはそんなコーリィに言い放つ。お前は今何をしているんだと。俺はハンターさと答えるが、しかし、コーリィはどこか心がここにあらずという虚ろな表情をする。きっと父親として娘を失った後に結局は何もできなかった自分を悔やんでいるのだ。

コーリィは寂しさのあまりか、失ったものを見つけ出そうとでもするかのように、夜中に妻のウィルマを訪ねる。玄関の戸口で立ったまま話すのだが、彼女もコーリィが政府の依頼を引き受けていることに触れる。手伝っているだけだと言うが、彼女はあなたが探し求めている答えなんか見つからないわよ、何を見つけるにしてもという。これはエミリーのこととは関係ないよと答えるコーリィ。娘の名前を聞き小刻みに震えだす彼女。そのままおやすみなさいと言って戸を閉め中へ消えてしまう。

翌日、コーリィは遺体発見現場からさらに続くトレースを追って単独で山に入り、ジェーンとベン、その警察隊員が武装して採掘現場へ向かうが・・・

さてここで、先の問題に戻る。

まず1点は、”最後のテロップ” で、合衆国の人口動態調査というものに触れた。

北アメリカは主にヨーロッパからの移民であった開拓民により国家が建設されたと言える。彼らが移住する前にはこの地には様々な部族が先住していて、合衆国建国の歴史とは彼らとの戦いの歴史でもあった。
戦いが終結し一つの国家が樹立されると、その他の勢力、他国や部族等はこの「国家」に吸収、文化や習俗、独自の法体系や信仰までが収奪され国家システムの中に組み込まれて行く。

その例は、1830年に制定された「インディアン強制移住法」により先住民の移住政策が行われ、1834年に「居留地」が設けられ強制的に指定区域に移住させられた事実にも現れている。また、この施策は、1860年代には、政府の白人指導者たちにより、移住政策に従わない先住民族の「絶滅政策」という形を執り、保留地は実質的に先住民族を隔離、管理するための収容所と化していった。最後の抵抗を続けていたチェロキー族も1830年代末には、極寒のなかで、5ヶ月間を要したというオクラホマへの移住と収容の途に帰した事実がある。

また、米国連邦政府は労働力の需要を満たすためにアフリカ大陸から奴隷を輸入することで、その移民国家として「人口動態」の複雑さの基礎も自ら作っていったといえる。

現在、ウィンド・リバー保留保護区には3,000人ほどのアラパホ族 Arapaho が、一部のショショーニ族 Shoshone とともに生活している。合衆国全体での先住民族の人口は、2000年の国勢調査では約250万人と記録されている。ちなみに自治区として「国家」の承認を得ている先住民族の中でも最大規模のナバホ族は、広大な自治区域に約20万人が暮らしている。

そもそも、連邦国内で「先住民」として登録されるには基準がある。
それが Blood Quantum Laws(「血液含有率に関する法律」)と言われるもので、1705年に初めてバージニア州のプランテーションで、「インディアン」を定義、つまりこの時に、彼らの半分以上の人々が市民権を制限された(「保留区」に居住する彼らに市民権が与えられたのは1924年になってからである)。また、19世紀から20世紀にかけては、米国政府は、土地収用に起因した条約下で支払われた連邦給付や年金支払いのために、彼らを定義(登録)し、その身分や権利を制限する必要があったとする。

この法律は、ユーロアメリカ人によって一方的に制定されたもので、ネイティブ・アメリカン自身に根ざした独自の伝統や法律(掟)、自己を特定する方法等を無視したものであった。その後、合衆国を構成した移民、ヨーロッパ系、アフリカ系や先住民たちの先祖からその子孫に至るまで全てに適用し、彼らが婚姻、養子縁組など、多人種間で行われ構成された血縁・血統に対しても適用、彼らの文化的、民族的な連続性までが完全に破壊された。また、「居留地」の管轄は連邦政府とその土地が存する州にそれぞれ制約されているために、殺人事件などが起こった場合は一層複雑になる。
マーティンが皮肉交じりに口にした、自由や権利、成人した娘への人権尊重という考えも、まさに米国の連邦政府による抑圧の歴史の中で押し付けられてきたという語感が響くものである。

こうしてみると彼らの物語というのは、ユーロ・アメリカンの侵略と彼らとの長い戦争、文化や信仰・習俗など生存に関わるすべての収奪と子々孫々に至る抑圧、合衆国というヒエラルキーに帰属させられた歴史であるといえる。

彼らの歴史は、物語の中のコーリィの言葉を借りれば以下のようになるだろう。

QUOTES
My family’s people were forced here. Stuck here for a century. That snow and silence… It’s the only thing that hasn’t been taken from them.(私の家族の人々がここに強いられた。1世紀もの間ここに抑留されている。雪と静寂・・・ それが唯一彼らから奪われなかったものだ。)

雪と静寂とは、犯人の一人である男が命乞いする際に自分が犯したことは全てこの地での状況に影響されたと叫ぶ。この地には雪と静寂しかないからだという言葉を受けたものである。何故コーリィは最後にあのような行動をとったのだろうか。その考察を以下に続ける。

コーリィが最後にとった行動の背景について。

コーリィは自分の娘が何者かによって殺害された、その痛みと現実を受け入れ、すべての記憶を否定する(手放す、忘れる)ことなく怒りや悲しみなどと折り合いをつけた(はずであった)。しかし、この彼の選択、その後の人生では、家族、特に妻を失い、子どもとともにいる生活まで失ってしまった。そして以降、仕事に精魂を尽くすが、決して幸せとは言えない、苦行のような、あるいは諦め切ったような、一瞬の娘に目を離してしまったという一生続くであろう後悔の念とともに、人生を歩んでいるように見える。このような彼に対して親友のマーティンは自分が娘を失った時、同じように「受け入れる」という表現はするがつまり諦めることを慰みにするコーリィに反発する。今までお前は何をしていたのだと。つまり娘が殺されたのにも関わらずという含みがある。

このマーティンの言葉は、彼らの死生観がうかがえるものだが、殺害された人の魂はその復讐を遂げない間はこの世に彷徨い続けるという考えがある。
これを果たすために、先住民族に伝わった Blood Law または Blood Revenge (血による報復)と呼ばれた習俗法、つまり掟がある。これは流れた血には血でもって贖うというものだ。それは殺害した相手の親族の責任で持って果たされる場合があったり、犠牲者の男方の親族によって果たされる等があったようだ。勿論現在の合衆国・州法によれば禁止されている殺人行為である。またこの習俗の考えは、汚れた魂に死後、調和をもたらし清め再びあの世へ送り出さなければならないという信仰によるものでもあり、それは単に怒りによる復讐を遂げるという意味よりも、この調和をもたらすという点が重要であった。怒りや憎しみに駆られ相手に制裁を加えるだけでは調和は生まれないはずだ。

この大きな存在との調和が図られるという点を見事に描いていたのは『 The Revenant  』という作品でもある。全てを受け入れあとは自身を超えた大きなもの、神や、信仰の対象とする自然などへ託すということだ。それによって自らは邪悪なもの、憎しみや怒りからは解放される・・・

この物語の最後のコーリィの下した行動・決定はその一つの答えだったと思う。

MEMO
【記録】監督・脚本:テイラー・シェルダン Taylor Sheridan / 撮影:ベン・リチャードソン Ben Richardson / 音楽:ウォーレン・エリス Warren Ellis、ニック・ケイヴ Nick Cave / 主演:エリザベス・オルセン Elizabeth Olsen/ ジェレミー・レナー Jeremy Renner / グラハム・グリーン Graham Greene / ギル・バーミンガム Gil Birmingham / ジュリア・ジョーンズ Julia Jones / テオ・ブリオネス Teo Briones / ケルシー・アスビル・チャウ Kelsey Asbille Chow / 制作国:アメリカ合衆国/ 言語:英語/ 邦題『ウィンド・リバー』(日本公開日未定)/ 2017年制作